2016-04-26 第190回国会 参議院 文教科学委員会 第6号
私も当時参議院議員当選して三年目でありました。スポーツ予算獲得のために何とか財源をということで、私が国会に入りました以前からこの財源の充実にスポーツ議員連盟が努力をしてまいりました。その中心が森喜朗さんや麻生太郎さんであります。
私も当時参議院議員当選して三年目でありました。スポーツ予算獲得のために何とか財源をということで、私が国会に入りました以前からこの財源の充実にスポーツ議員連盟が努力をしてまいりました。その中心が森喜朗さんや麻生太郎さんであります。
以後、衆議院議員当選十一回、参議院議員当選二回を数えます。初当選の後、自由民主党の青年局長を務められました。 西岡先生に代わって、議場におられるお若い先生方に申し上げます。ついこの前、青年局長をなさった先生とのお別れをもうしなければならないのです。少年老いやすいのです。どうぞ、春秋に富んだ先生方、一日一日を大切にされ、しっかりと後を継いでくださるようお願いをいたします。
私は、一九九五年の参議院議員当選以来、不平等、不公平の日米地位協定は、この国の主権と国民の人権と環境の視点で、全面的に改正すべきだと主張し続けてまいりました。民主党も、野党時代の二〇〇八年、社民党、国民新党と三党で共通の改定案をまとめ、当時の自民党政権に申し入れております。
なお、これにつきましては、比例順位工作問題が絡んでいると見られるわけでありますが、この事件が厳しく問われた平成九年当時、その詐欺で得た金額の一部を友部議員みずからの参議院議員当選に向けた新進党の比例順位工作に使い、特に、細川元総理との会食の際、細川氏側近の初村謙一郎元衆議院議員に現金三千万円を提供したという疑惑が報道されておりました。
同じ四十六年に参議院議員当選、田中派のお仲間だったと記憶いたしております。 総理、田中さんについてあなたはどう思うかという、新聞社じゃない、あれは雑誌社ですかに対するお答えを読んだことがあります。魅力的な方だとお答えになっていました。今もう一遍伺いたい。
私は宮澤総理の経歴を読ませていただきましたが、昭和十七年に大蔵省に入省され、昭和二十四年には大蔵大臣の秘書官、二十五年には通産大臣の秘書官を兼任され、そして二十六年にはサンフランシスコ講和会議に全権の随員として参加され、二十八年には参議院議員当選、四十二年に衆議院議員当選。そしてその後、経企庁長官、通産大臣、外務大臣、官房長官、大蔵大臣、こういう要職を歴任されて今日に至っておられるわけです。
岩動君は、つとに科学技術、エネルギー問題に関心を持たれ、参議院議員当選直後の昭和四十二年、同僚議員とともにエネルギー研究会をつくり、「エネルギー省の創設」などを政府、党へ提言されました。また、これらに関する著書も上梓されておられ、科学技術庁長官のポストは、まさに水を得た魚の感がありました。
○松浦参議院議員 当選をしないで名簿に載っておる者は候補者でも何でもございませんので、この前も議論ございましたように、ほかの選挙に立候補することも可能だし、いろいろな道があるわけでございます。五十八年の名簿にも載り六十一年の名簿にも載るということは可能でございます。両方載っておるわけです。これは可能でございます。
君の国政参与の足取りを見ますと、昭和二十七年山梨県において衆議院議員当選、同三十一年山梨県地方区から参議院議員当選、同三十七年及び四十三年の参議院議員選挙にも引き続き当選、衆議院議員一回、参議院議員三回にわたって議席を得られたのであります。 この間、昭和三十五年内閣委員長、同四十一年物価対策特別委員長に選任され、国家公務員、行政機構、防衛、物価対策等の重要な国政の審議に当たられました。
寺尾豊君は、その経歴を見ますというと、国会対策委員長、参議院の議院運営委員長、あるいは参議院の副議長、第三次岸内閣の郵政大臣、参議院の予算委員長、参議院外務委員長、しかもその政治経歴をながめますときに、衆議院議員当選一回、参議院議員当選五回でございまして、この政治経歴からして、この人が本気になって日韓の問題に取り組むことができますればと、私は国民の立場に立って大きな期待をかけたわけでございます。
こうした大きな実績が、昭和二十八年の参議院議員当選をもたらしたことも、けだし当然の帰結と申さねばなりません。 吉田君の本院議員としての御活躍は、学術、教育関係において特に多く見ることができるように思います。
その規定に基きまして赤木君は出ておつたのでありますが、参議院議員当選と同時に、三十九條との関係がありまして、一応やめたのであります。しかし従来からやつておつたのでありますし、その方面からも推薦されているから、そのまま御了承を願いたいというお申出であります。